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太陽はひとりぼっち/ミケランジェロ・アントニオーニ

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2005年05月14日

L_eclipse.jpeg 太陽はひとりぼっち/ミケランジェロ・アントニオーニ

 こんにちは。今日はミケランジェロ・アントニーニ監督の『太陽はひとりぼっち』です。原題はL'Eclipse、エクリプス、日蝕の意味ですね。ローマの街中を舞台に主演モニカ・ヴィッティの気だるい雰囲気と独特の存在感とが強烈に印象に残る映画です。主演はモニカ・ヴィッティ、アラン・ドロン、監督はミケランジェロ・アントニーニ、1962年イタリア映画。モノクロ。

 日蝕といいますのはご存じの通り太陽と地球の間に月が丁度重なってお昼でも夜のように暗くなる自然現象ですが、日本名の太陽はひとりぼっちというのはかなりの意訳になっていますね。ヴィッティ扮する女性の心象をも表現しているようでまあ雰囲気はわからないではないですが。ちなみにジャズではトミー・フラナガンのアルバムがあります。のこのブログでもご紹介ています。→『エクリプソ

eclipse1.jpeg さて、この映画、私は学生時代に知り合って間もないある女子大生と観に行った記憶があります。『男を女』他との3本立てだったですね。確か京都の八坂神社の真ん前にある祇園会館でした。観終わって彼女に「勉強になったね」なんて互いに納得したような生意気盛りの会話を交わしましたっけ(笑)。3本のうちこの1本だけは不思議な映画、大変著名だけれどよくわからない映画という印象が未だに残っていますが。

 モニカ・ヴィッティ演ずる主人公が妙な倦怠感を発散しながら不毛なる愛の不全感を漂わせています。金持ちの男と別れ、アラン・ドロン扮する青年と少しずつ恋らしきものに落ちてゆくのですが、何となく煮え切らないのですね。会話の中でも、結婚には郷愁(ノスタルジーと発音していた)を持たないという表現をしていましたっけ。結婚経験も無いのに郷愁はないだろというドロンの突っ込みにもよくわからないといった曖昧な返答。ドロンに対して常にこの種の煮え切らない態度なのですね。

leclipse2.jpeg それと難解なのが不可思議なラストシーン。ただし、よく考えてみますと、事務所で結ばれた二人が別れるときに交わした会話、明日も明後日も会おうというドロンに対して、今夜も次もその次もねと答えるヴィッティ、そして、じゃいつものところでとドロン、しかし、その後のラストシーンでは無機的な街を示しながら夜になっていつもの待ち合わせ場所を長く映しながらあれは結局二人が来ないということを示していたのですね。そう理解すれば、何となくわかったような気がしてきます。

 何気なく出てくるコンクリート高級マンション、アフリカの話、スポーツカー事故、株の暴落、核開発の新聞記事など、それら急激に変化を遂げつつある社会や日常環境と、そうした文明の進歩に取り残されて行く人間の心象との間に生じる摩擦や疎外感をモニカ・ヴィッティ扮するヒロインを通じて象徴的に示したかったのでしょうか。ヴィッティが素敵な笑顔を見せてくれるシーンが、犬を探し出すところ、黒人を真似た踊り、ドロンとの戯れなど数箇所であり、ほとんど常に不機嫌そうな気だるい表情なのですね。

antonioni.jpeg 監督のミケランジェロ・アントニオーニは『情事』(60年)、『夜』(61)、『太陽はひとりぼっち』(62)と3本続けて話題作を世に送り出して注目を集めます。いずれも当時恋愛関係にあったモニカ・ヴィッティを主役に起用しています。アントニオーニ監督はフェリーニとともに当時の時代の空気と人間の内奥の苦悩を表現できた先端を走る映像作家だったのですね。


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