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白夜/ルキノ・ヴィスコンティ
2005年06月14日
白夜/ルキノ・ヴィスコンティ
こんにちは。先週の休みにヴィスコンティの『白夜』を観てきました。学生時代にロベール・ブレッソンの『白夜』を観た時の鮮烈な印象が残っており、このヴィスコンティ作品にもいつか出会うチャンスを待ち望んでいたのでした。主演、マリア・シェル、マルチェロ・マストロヤンニ、ジャン・マレー。音楽、ニーノ・ロータ。1957年伊作品。白黒。原作、ドストエフスキー。
今でこそヴィスコンティは映画監督として著名ですが、50年代にはミラノ・スカラ座の舞台監督としてマリア・カラスを演出するなどむしろオペラ界で大変有名な存在でした。この映画『白夜』も完全な室内セットを用いたそうした舞台演出家としての本領が発揮された作品といえるでしょう。
下宿人の男ジャン・マレーと近くの橋で一年後に出会うことを約束し、毎日夜遅くに橋のたもとで待つ健気な女性マリア・シェル。そんな浮世離れした夢みたいな話を内心否定しつつも肯きながら何とかマリア・シェルに取り入ろうとするマルチェロ・マストロヤンニ。
ラストは雪の降る情緒ある白銀の夜にやっとのことでマリア・シェルの心を掴んだと思いきや、とうとうその男が現れて女は踵を返して先ほどのマストロヤンニとの睦まじさをジャン・マレーに許しを請ってまで本意を遂げてめでたしめでたしというお話。
信じる者は救われる。マリア・シェルの純真な乙女心が臭い立つほど野暮ったいのですが妙に印象に残ります。事実は小説より奇なるとよく言いますが、こと男と女にまつわるよしなしごとにはこの種の想像しがたい話がよくあるのですよね。ニヒルな二枚目のマストロヤンニがまんまと野暮なマリア・シェルに一杯食わされて、実は自分がずっと野暮だったという悲喜劇なのですね。
ドストエフスキーと言えば地下生活者の手記に象徴されるように、極めて内省的で饒舌で自我を抑えきれない矛盾だらけの自己の存在、そしてその執着して愛しくて堪らない自己を自ら自虐的に否定することにより引き起こされる悲喜劇。マストロヤンニの心の葛藤がいかにもドストエフスキー的と思えるのですね。
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:39
太陽はひとりぼっち/ミケランジェロ・アントニオーニ
2005年05月14日
太陽はひとりぼっち/ミケランジェロ・アントニオーニ
こんにちは。今日はミケランジェロ・アントニーニ監督の『太陽はひとりぼっち』です。原題はL'Eclipse、エクリプス、日蝕の意味ですね。ローマの街中を舞台に主演モニカ・ヴィッティの気だるい雰囲気と独特の存在感とが強烈に印象に残る映画です。主演はモニカ・ヴィッティ、アラン・ドロン、監督はミケランジェロ・アントニーニ、1962年イタリア映画。モノクロ。
日蝕といいますのはご存じの通り太陽と地球の間に月が丁度重なってお昼でも夜のように暗くなる自然現象ですが、日本名の太陽はひとりぼっちというのはかなりの意訳になっていますね。ヴィッティ扮する女性の心象をも表現しているようでまあ雰囲気はわからないではないですが。ちなみにジャズではトミー・フラナガンのアルバムがあります。のこのブログでもご紹介ています。→『エクリプソ』
さて、この映画、私は学生時代に知り合って間もないある女子大生と観に行った記憶があります。『男を女』他との3本立てだったですね。確か京都の八坂神社の真ん前にある祇園会館でした。観終わって彼女に「勉強になったね」なんて互いに納得したような生意気盛りの会話を交わしましたっけ(笑)。3本のうちこの1本だけは不思議な映画、大変著名だけれどよくわからない映画という印象が未だに残っていますが。
モニカ・ヴィッティ演ずる主人公が妙な倦怠感を発散しながら不毛なる愛の不全感を漂わせています。金持ちの男と別れ、アラン・ドロン扮する青年と少しずつ恋らしきものに落ちてゆくのですが、何となく煮え切らないのですね。会話の中でも、結婚には郷愁(ノスタルジーと発音していた)を持たないという表現をしていましたっけ。結婚経験も無いのに郷愁はないだろというドロンの突っ込みにもよくわからないといった曖昧な返答。ドロンに対して常にこの種の煮え切らない態度なのですね。
それと難解なのが不可思議なラストシーン。ただし、よく考えてみますと、事務所で結ばれた二人が別れるときに交わした会話、明日も明後日も会おうというドロンに対して、今夜も次もその次もねと答えるヴィッティ、そして、じゃいつものところでとドロン、しかし、その後のラストシーンでは無機的な街を示しながら夜になっていつもの待ち合わせ場所を長く映しながらあれは結局二人が来ないということを示していたのですね。そう理解すれば、何となくわかったような気がしてきます。
何気なく出てくるコンクリート高級マンション、アフリカの話、スポーツカー事故、株の暴落、核開発の新聞記事など、それら急激に変化を遂げつつある社会や日常環境と、そうした文明の進歩に取り残されて行く人間の心象との間に生じる摩擦や疎外感をモニカ・ヴィッティ扮するヒロインを通じて象徴的に示したかったのでしょうか。ヴィッティが素敵な笑顔を見せてくれるシーンが、犬を探し出すところ、黒人を真似た踊り、ドロンとの戯れなど数箇所であり、ほとんど常に不機嫌そうな気だるい表情なのですね。
監督のミケランジェロ・アントニオーニは『情事』(60年)、『夜』(61)、『太陽はひとりぼっち』(62)と3本続けて話題作を世に送り出して注目を集めます。いずれも当時恋愛関係にあったモニカ・ヴィッティを主役に起用しています。アントニオーニ監督はフェリーニとともに当時の時代の空気と人間の内奥の苦悩を表現できた先端を走る映像作家だったのですね。
詳しくはアマゾンでどうぞ。→太陽はひとりぼっち/ミケランジェロ・アントニオーニ
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:40
輪舞/ロジェ・バディム
2005年04月24日
La Ronde/ロジェ・バディム
こんにちは。今日はロジェ・バディム監督の『輪舞』です。アルチュール・シュニッツラーの著名な同名小説「輪舞」の2度目の映画化作品です。演者は、マリー・デュボア、アンナ・カリーナ、ジェーン・フォンダ、カトリーク・スパーク、フランシーヌ・ベルジェ、ベルナール・ノエル、クロード・ジロー、ジャン・クロード・ブリアリ、モーリス・ロネ、他。音楽/ミシェル・マーニュ。1964年仏。
豪華な俳優による男女の織り成す味のある駆け引きを描いたとても気になる作品ですね。フランスはやはり恋愛の先進国というか大人の男女の国という印象になります。全部で10組の取組みが見られます。男優5人と女優5人が各2回づつ順に相手を変えて登場します。最後は元に戻るという意味で輪舞ということなのでしょう。
その非常に高度なやり取り、それに素敵な女優さんがたくさん出てくるところが妙に惹かれますね。内容ははどうということはないのですが、それぞれの男女の風景がリアルかつ精緻に描かれているというわけです。
①娼婦(マリー・デュボワ)と兵隊(クロード・ジロー)
②兵隊(クロード・ジロー)と小間使い(アンナ・カリーナ)
③小間使い(アンナ・カリーナ)と若旦那(ジャン・クロード・ブリアリ)
④若旦那(ジャン・クロード・ブリアリ)と人妻(ジェーン・フォンダ)
⑤人妻(ジェーン・フォンダ)と夫(モーリス・ロネ)
⑥夫(モーリス・ロネ)と小娘(カトリーヌ・スパーク)
⑦小娘(カトリーヌ・スパーク)と作家(ベルナール・ノエル)
⑧作家(ベルナール・ノエル)と女優(フランシーヌ・ベルジェ)
⑨女優(フランシーヌ・ベルジェ)と伯爵(ジャン・ソレル)
⑩伯爵(ジャン・ソレル)と娼婦(マリー・デュボワ)
ロジェ・バディムは私生活ではブリジッド・バルドー、カトリーヌ・ドヌーブ、そして本作にも出演しているジェーン・フォンダと次々と結婚をしてゆくのですが、女性の美や優しさに対する愛情ある視線には共感できるものを少しですが感じたりしますね。本作に登場している女優も粒ぞろいという感じでして、個人的な好みでは左写真のカトリーヌ・スパークや下のマリー・デュボワがいいですね。キュートなマリー・デュボワの写真はシャルル・アズナブールと共演した『ピアニストを撃て』からのものです。
ほぼ原作通りということで、アルチュール・シュニッツラーの秀逸な原作小説が光ります。すでに映画化されたものが3本ありまして、映画化1作目はシモーヌ・シニョレやジェラール・フィリップらの出演したマックス・オフュルス監督1950年仏作品。このバディム監督作品は2作目で1964年仏作品。3作目はオットー・シェンク監督、フランシス・レイ音楽の1973年ドイツ作品でした。
左はバディムとジェーン・フォンダの67年当時の写真です。
詳しくはアマゾンでどうぞ。→La Ronde/ロジェ・バディム
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:44
ブリキの太鼓/フォルカー・シュレンドルフ
2005年04月02日
ブリキの太鼓/フォルカー・シュレンドルフ
こんにちは。今日は学生時代に一度観てつい最近レンタルDVDで見直した映画のことをご紹介しましょう。ギュンター・グラス原作、シュレンドルフ監督『ブリキの太鼓』です。1979年カンヌ映画祭パルムドール(最高賞グランプリ)受賞。出演はダーヴィット・ベネント、マリオ・アドルフ、アンゲラ・ヴィンクラー、ダニエル・オルブリフスキー、シャルル・アズナヴール、カタリナ・タルバッハ他。音楽はモーリス・ジャール。1979年ドイツ/フランス。独語。
学生時代に名画館でこの映画を観てそのリアルな映像と不可思議な設定に強烈な印象を受けました。バルト海に面するポーランドの街ダンツィヒを舞台に、3歳の誕生日に母にかねて約束していたブリキの太鼓を買ってもらい、同時に大人の醜い世界に嫌気がさして自ら成長を止めた少年オスカルの目を通して、第二次世界大戦前後の暗黒の時代をシニカルに描いた物語です。成長が止まるというのはいかにもフィクションの世界でして、ブリキの太鼓、スカートの中とかいくつかのキーワードとともに何らかの隠喩の役割があるのだと思います。リアリスティックで強烈なベッド・シーンや馬の首を使って鰻を取るグロテスクなシーンなど鮮烈な映像が随所に出てきます。
原著者のギュンター・グラス(1927年~)は1999年にノーベル文学賞を受賞したドイツ人小説家。本作は1959年発表の当時話題となった出世作です。受賞理由は「陽気で不吉な寓話」というもの。どんな原作かと気になりましたので、この『ブリキの太鼓』を今日実は本屋さんで立ち読みして(正確にはジュンク堂で座り読み)少しだけ感触を掴んできました。全集ものの中にヘッセらの作品とともに収められていました。全3部からなる長編です。映画では2部までを扱っているようですね。印象に残った映画のシーンのところを中心に30分くらいざっと流しまして、まず感じましたのは描写がきわめて精緻に描かれていること、それに実に奇妙で複雑な設定が施してありいかにも現代作品っぽいということです。偏執的に微に入る描写、特に性的なところは実にリアルだと思います。映画の各シーンは原作をかなり忠実にしかも細かな配慮を十分に施しながら再現しているように思われました。
オスカル役のダーヴィット・ベネントが魅力的です(写真)。当時6才だったとのこと。そのちょっと醒めた目の輝きが実にいいです。オスカルの母親と従兄弟との情交シーンは女性の性欲が露に表現されており強烈です。オスカルの父親と若い継母とのシーンはもっと強烈でしてその際に交わされる言葉が実にリアルで印象的ですね。オスカルと継母との同様のシーンも妙にエロを感じさせるものでした。20年くらい前に見たシーンを今だによく覚えているというのは当時相当に印象深かったのでしょう。その頃見たときはさぞかしドギマギしたのだと思いますが。それに、オスカルの母に想いを寄せるおもちゃ屋の主人マルクスはシャンソン歌手のシャルル・アズナブールなんですよね(写真)。意外な人が出てきてびっくりです。役の上で自殺することになるのですが渋い役回りでした。アズナブールは結構映画出演が多いですがまさか独仏合作とはいえドイツ語の映画に出てくるとは思わないですからよく似た人がいるのだな程度に思っていたのですがキャストにその名を見て納得です。
詳しくはアマゾンでどうぞ。→ブリキの太鼓/フォルカー・シュレンドルフ
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:45
女と男のいる舗道/ジャン・リュック・ゴダール
2005年03月26日
女と男のいる舗道/ジャン・リュック・ゴダール
こんにちは。今日はゴダール監督の映画『女と男のいる舗道』です。監督ジャン=リュック・ゴダール、音楽ミシェル・ルグラン、出演アンナ・カリーナ、サディ・レボ、ブリス・パラン、アンドレ・S・ラバルトほか、1962年仏作品、モノクロ、仏語。
ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビー』のジャケットのような可憐で美しい横顔が冒頭の映画題名とキャストのテロップが出るしばらくの間映し出されます。主演のアンナ・カリーナです。この映画はゴダールのそれまでの『勝手にしやがれ』(59年)や『女は女である』(61年)などと同様に従来の劇場映画とは一線を画する独特の映像とストーリーから成り立っています。
主人公のナナは若くして結婚して離婚をしたが女優を夢見ていた。しかし、安月給のレコード店では生活するのがやっと。たまたま街で男に誘われるままホテルに入り金を受け取る。そして、娼婦のヒモであるラウルと出会い彼に興味を持った彼女はその道に・・。ラストは身を売られる羽目になり結局死で終わるという哀しい話です。
何気ないしぐさや言葉によって人間性を鋭く表現しようとする冷ややかな視線が印象的ですが、主人公演じるアンナ・カリーナのクローズ・アップが多用され、ゴダールのカリーナへの執着を感じるとともに、女性に対する何かしら吹っ切れない疑いの念といったものを感じさせる不思議な映像です。
夫と子供に逃げられて身をもち崩した女友だちが、「でも私の責任じゃないの」ともらす言葉に対して、ナナは自分に言い含めるようにして言う言葉が印象的です。「私はすべてに責任があると思う。自由だから。手をあげるのも私の責任。右を向くのも私の責任。不幸になるのも私の責任。タバコを吸うのも私の責任。目をつぶるのも私の責任。責任を忘れるのも私の責任。逃げたいのもそうだと思う。すべてが素敵なのよ。素敵だと思えばいいのよ。あるがままに見ればいいのよ。顔は顔。お皿はお皿。人間は人間。人生は人生。」
このシーンのあとにアンナ・カリーナはカメラを直視してこちらを向きますが、これは恐らくは今の演技どうだった?よかったかしらという演技後の魅力的な素のカリーナの表情のように見えます。実際、アンナ・カリーナが演技をする前の姿や演技を終えた後の動きがわざと入れられているとのことです。ありのままのカリーナの美しさを記録したとも言えますが、演技にこだわるカリーナは激怒。ゴダールと彼女の仲がうまく行かなくなるきっかけにもなったと言われています。
その他にも、主人公と初対面の初老の男性による哲学的な会話は、実際に哲学者であるプルス・パランとアンナ・カリーナによる即興的なものとのことで、可愛い女性カリーナの一面が見えたりしますね。また、エドガー・アラン・ポーの『楕円形の肖像』を朗読する若い男の声がゴダール自身の吹き替えであったり、映画館でナナが見ているのは、カール・テオドール・ドライエル監督の無声映画の名作『裁かれるジャンヌ』など。それに街の映画館の前を通ってトリフォーの『突然炎のごとく』が上映されているシーンなんかもありますね。
主人公のナナという名は、エミール・ゾラの有名な小説で、ジャン・ルノワールによって映画化された『畳優ナナ』の主人公から取られたもの。ゴダールのナナとは対象的に、ゾラのナナは娼婦から大女優へと登りつめる成功する女性です。ゴダールは『女と男のいる舗道』で演劇的なものを目指したと語り、12の小景に分かれているのは、『三文オペラ』などの劇作家ベルトルト・ブレヒトにちなんでのこと。演劇のやり直しがきかないという特性を取り入れ、編集していない映像、ロケでの耳障りな雑音をそのまま使ったり、表情より言葉を強調するために俳優にはカメラに背を向けさせるということも行っています。
少し、アンナ・カリーナのことをまとめておきます。
アンナ・カリーナ Anna Karina
1940年9月22日デンマーク・コペンハーゲン生まれ。18才のとき短編映画に主演、カンヌ映画際で注目されるのをきっかけにパリに出る。ゴダールの目にとまり60年同監督の『小さな兵隊』に出演、61年ゴダールと結婚。ゴダール映画で、自由奔放で捕らえどころのない新しいタイプのヒロインを魅力的に演じた。61年の『女は女である』でベルリン映画祭女優賞を受賞。64年俳優ジャック・ペランと恋をしてゴダールと離婚。73年から監督業に進出し小説も書く。その他の出演作品、『5時から7時までのクレオ』(61年)、『気狂いピエロ』(65年)、『修道女』(66年)、『異邦人』(67年)、『シナのルーレット』(76年)、『黒の過程』(88年)など。
ついでに音楽担当のミシェル・ルグランの映画音楽もまとめておきましょう。
ミシェル・ルグラン 映画音楽作品
54年 過去を持つ愛情
61年 女は女である、ローラ、5時から7時までのクレオ
63年 シェルブールの雨傘
66年 ロシュフォールの恋人
68年 華麗なる賭け(アカデミー主題歌賞)
71年 思い出の夏(アカデミー賞作曲賞)
81年 愛と哀しみのボレロ(セザール賞音楽賞)
83年 ネバーセイ・ネバーアゲイン
94年 プレタポルテ
95年 リミュエールの子供たち、レ・ミゼラブル
本作品の詳細はアマゾンでどうぞ。→女と男のいる舗道/ジャン・リュック・ゴダール
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:46
ニュー・シネマ・パラダイス/ジュゼッペ・トルナト-レ
2004年12月26日
ニュー・シネマ・パラダイス/ジュゼッペ・トルナト-レ
こんにちは。今日は名画ニュー・シネマ・パラダイスです。1989年伊仏作品。監督ジュゼッペ・トルナト-レ。出演、フィリップ・ノワレ、ジャック・ペラン、サルヴァトーレ・カシオ、マルコ・レオナルディ、ブリジッド・フォセー、アニェーゼ・ナーノ他。音楽エンリオ・モリコーネ。90年アカデミー外国映画作品賞。シチリアの映画館「パラダイス座」を軸にしたノスタルジックな人間模様を見事に描いた名作です。
完全オリジナル版(3時間)DVDを昨日自宅で観ました。とてもよかったです。素直にいい映画だと思います。劇場版よりも後半の部分が長くなっていて冗長な感じですが、こちらの方がストーリーが分かりやすいですね。アルフレード(フィリップ・ノワレ)の葬式のために30年ぶりにシチリアに帰ってくるトト(ジャック・ペラン)、そのトトは映画制作者として大成功を収めていますが、30年前に別れたエレナ(ブリジッド・フォセー)と再会することになります。
意外だったのは、30年前にエレナの居所や伝言をアルフレードがトトに伝えなかったこと、そのために二人は違った運命を歩むことになるのですね。結局アルフレードがトトとエレナの別れを演出したことになります。トトはエレナのことを30年もの間ずっと思い続けて結婚していませんが、一方のエレナは年頃の娘を持つ政治家の妻として幸せな人生を送っているようでした。トトは今一度未来を共にしたいとエレナに申し出るものの現実を抱えたエレナからは断られます。
また、ラストはトトがアルフレードから死後渡されたフィルムを見るところで終わりますが、そのフィルムの中身は神父(レオポルド・トリエステ)の検閲でカットされた部分をつなぎ合せたキス・シーンでしたね。ニヤリとさせられるシーンの多い映画ですが、この最後の部分もなるほどやられたという感じですね。ユーモアがいっぱいです。ロジェ・バディム監督「素直な悪女」のブリジッド・バルドーの裸体シーンが出てくるところや、映画を見ている老人が暗記したセリフを涙を流しながらつぶやくシーンなどもユーモラスでした。
トトのシチリア滞在中に役目を終えたパラダイス座を取り壊して駐車場にするという象徴的な挿入話もあります。まあいろいろ複線はありますが基調は大衆映画を上映するある田舎町の映画館の消長を通して時代の移り変わりと人間模様を浮き彫りにした美しい物語です。そして、映画が娯楽の中心にあった古き良き時代へのノスタルジー、その映画と映画館に対する暖かい眼差しを感じる作品なのですね。監督のジュゼッペ・トルナト-レ監督自身シチリア出身とのこと。主人公のトトに重なる部分がかなりあるのではと連想させます。また、エンリオ・モリコーネの哀愁のある主題曲メロディーが全編に流れます。甘いメロディーです。あまりに多用されますので全体的に少しムードに流されるのは否めません。
詳しくはアマゾンでどうぞ。→ニュー・シネマ・パラダイス/ジュゼッペ・トルナト-レ
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:47
戦場のピアニスト/ロマン・ポランスキー
2004年11月08日
戦場のピアニスト/ロマン・ポランスキー
こんにちは。今日はポランスキーの名作「戦場のピアニスト」です。たった今約2時間半のDVDを見終わったばかりです。感動の名画でした。ショパンのピアノ曲が全編に流れます。2002年カンヌ映画祭パルムドール(最優秀作品賞)受賞。
第2次世界大戦をポーランドで奇跡的に生き抜いたユダヤ人ピアニストの伝記を忠実に映像化した美しい映画です。ポランスキー監督も幼少時代に強制収容所で母を亡くし自身は脱走するという同様の壮絶な経験を持っています。
まず、この映画、その映像がどの場面を見ても美しいというのが最初の10分くらいで感じることです。光と影の陰影、奥行を映す立体感、各映像の構図などがいずれも印象的です。丁寧に丁寧に精魂込めて手作りで作り上げられた感があります。「水の中のナイフ」のあのモノクロでセリフの少ない詩のような映像は忘れがたいものがありますが、ポランスキー監督の美意識には大いに共感できるというものです。「反撥」や「チャイナタウン」、「テス」などにも底流にはそうした耽美的感覚が流れていたように思います。
それに、ショパンのピアノ曲がやっぱとてもよいのですね。一番よかった演奏は、ドイツ人将校の前で震えながら弾いた「バラード第1番」です。あの震えは、長い間弾きたくても弾けなかったピアノを思う存分に弾けたという感動の震えだと私は思うのですね。演奏後に殺されるかもしれないという恐れからではなく、死ぬまでにもう一度だけピアノを思い切り弾きたかったその望みがやっと実ったという震えではなかったかと思うのです。幸いその将校に助けられ、食べ物も密かに分けてもらって生き延びることができるのですがね。このバラード1番は若い頃から何度も聴いてきた私にとっては馴染みの曲なのですが今回また断然好きになりました。
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:48
アマルコルド/フェデリコ・フェリーニ
2004年10月05日
アマルコルド/フェデリコ・フェリーニ
こんにちは。今日はとうとうフェリーニ監督がアマルコルドで登場です。映画作家としてヨーロッパを代表する映画監督といえば私の場合まずフェリーニの名が浮かびます。1920年生93年没。
多くの名作を残していますのでどの作品を紹介するか迷うところですが、まず今日は最もお気に入りの映画"アマルコルド"を選んでみました。73年のイタリア映画です。フェリーニの生れ故郷である北イタリアの小さな港町リミニを舞台にした一種のファンタジーです。アマルコルドとは"私はおぼえている"という意味で、フェリーニの少年時代のある1年間の思い出を断片的なエピソードで綴った不思議な映画です。
全体的に暖かいユーモアがあります。これはフェリーニ監督の特徴でしょうが、ものごとを客観視することによるユーモアというのでしょうか、独特の感じですね。巨大客船が港にやってくるシーンやマドンナ的な存在のマガリ・ノエルのグラディスカが印象的です。フェリーニの音楽をずっと担当したニーノ・ロータの音楽も興趣ある素敵なものです。
ストーリーのない極めて感覚的な映像の映画ですが、好きな人にはたまらなく好きになる類の映画です。まだ観ていない方はぜひともご覧になってください。道(54年)、甘い生活(60年)、8・1/2(63年)など名作が多い中、私にはこのアマルコルドが人間フェリーニを感じられて最も好ましく思えるのです。
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:50
卒業/マイク・ニコルズ
2004年10月04日
卒業/マイク・ニコルズ
こんにちは。今日は青春映画の名作"卒業"です。出演、ダスティン・ホフマン、アン・バンクロフト、キャサリン・ロス。音楽、サイモンとガーファンクル。66年製作。
少しだけ内容を紹介しておきますと、大学を卒業したばかりの青年ベンジャミン(ホフマン)が知り合いの年上女性ロビンソン夫人(バンクロフト)に誘惑されて関係を持つが、幼馴染の夫人の娘(ロス)にしだいに魅かれてゆく。ところが、嫉妬した夫人に関係をばらされて、娘は他の男性と結婚することに。最後は花嫁の強奪というラストシーンで、本当の意味の"卒業"を果すというものですね。
もちろん映画初主演のダスティン・ホフマンにとってその個性を一躍有名にした記念すべき映画なのですが、個人的にはこの映画、アン・バンクロフトの存在感が光彩を放っていたと思います。年上女性のしたたかな独特の雰囲気とそれとは対照的な微妙な女心を見事に演じきっているという印象です。キャサリン・ロスなどはただのかわいこちゃんという感じで女優としては比較できないほどです。
卒業 オリジナル・サウンド・トラック/ サイモンとガーファンクル
そして音楽が素晴らしいですね。サイモンとガーファンクルは米60年代のフォーク・デュオ・グループですがこの時期一連のヒット曲を連発して世界的な人気グループに登りつめました。"サウンド・オブ・サイレンス"、"ミセス・ロビンソン"、"スカボロ・フェア"らの名曲が映像を彩ります。特に、パセリ・セイジ・ローズマリー&タイムの歌詞で有名なスカボロ・フェアのメロディーがとても印象に残ります。ダスティン・ホフマンの心の葛藤を象徴するかのような繊細な響きです。
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:52
陽の当たる場所/ジョージ・スティーヴンス
陽の当たる場所/ジョージ・スティーヴンス
こんにちは。今日は結ばれぬ愛の悲劇を描いた名作"陽の当たる場所"です。エリザベス・テーラーの輝かんばかりの美しさと、緑の瞳を持つモンゴメリー・クリフトの屈折した青年役が印象的な映画でした。米51年。
貧しい青年が出世街道に乗り上流社会の令嬢と恋に落ちる。しかし、彼には妊娠を理由に結婚を迫る元恋人がいた。彼女を殺すために湖に誘い出すが、異様な殺気を感じた彼女は狂乱しボートが転覆して事故死してしまう。結局、罪に問われ殺意を正直に認めた彼は電気椅子に座ることになる。原作は、セオドア・ドライサー作"アメリカの悲劇"。
中学生の頃にTVで見てエリザベス・テーラーの大ファンになりました。その麗しく品のある美貌とともに、M・クリフトの異様に輝く瞳、そして深い森と、森の中を駆けるオープンカー、森の中にあるお屋敷などが目に焼きついています。E・テーラーは、若草物語(49年)、花嫁の父(50年)、ジャイアンツ(56年)、熱いトタン屋根の猫(58年)、バターフィールド8(60年)、クレオパトラ(63年)などの名作でその眩い美と存在感を示しています。32年生。M・クリフトは21年生で66年に45歳の若さで急逝しています。
エリザベス・テーラーをもっとしりたい方へ →Elizabeth Taylor/Reel Classics
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:51
博士の異常な愛情/スタンリー・キューブリック
2004年10月02日
博士の異常な愛情/スタンリー・キューブリック
こんにちは。今日は名監督として名高いスタンリー・キューブリックのお気に入りの映画を紹介します。"博士の異常な愛情"は、米とソ連の冷戦を扱った痛快ブラック・コメディーです。主演、ピーター・セラーズ、ジョージ・C・スコット、64年。キューブリック監督の作品には、この作品のあと、2001年宇宙の旅(68年)、時計じかけのオレンジ(71年)、バリー・リンドン(75年)、シャイニング(80年)とキラ星のごとく話題作が続きます。 28年生99年没。
キューブリックの作風は作品毎にテーマが変わりとらえどころがないようにも思えますが、SF3部作とよばれる、博士の異常な愛情、2001年宇宙の旅、時計じかけのオレンジ、の3本には、高度化する科学文明と人間とを対峙させその歪や狂気を描くことで人間の本質的な危うさやはかなさを予言的に描き出そうという意図を感じます。新しい映像美へのチャレンジ、娯楽性に媚を売らない芸術性、そして何より残された偉大なフィルムに感謝です。
この作品でピーター・セラーズはマンドレーク大佐・マフリー大統領・ストレンジラブ博士の3役を見事に演じています。この時期、ピンクの豹(63年)、何かいいことないか子猫チャン(65年)、007カジノロワイヤル(66年)など喜劇的映画の主役をこなし人気沸騰でした。とても印象深い役者です。25年生80年没。
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:53
死刑台のエレベーター/ルイ・マル
2004年09月26日
ルイ・マル/ 死刑台のエレベーター、DVD
こんにちは。今日は仏映画の死刑台のエレベーターです。57年ヌーベル・ヴァーグのさきがけとなった作品で、ヌーベル・ヴァーグの旗手ルイ・マル監督のデビュー作。出演ジャンヌ・モロー、モーリス・ロネ、リノ・バンチュラ。音楽はマイルス・デイビス。
原作はノエル・カレフ。傑作サスペンスです。このよくできた話を、モノクロの斬新なカメラ・ワークと主人公の心情を象徴的に暗示するマイルス・デイビスのクールな音楽とが、ものの見事に優れた映画作品とすることに成功しています。
ジュリアン(ロネ)はフロランス(モロー)との恋のためその夫である社長を殺害する完全犯罪を企て実行に移すが、その犯行直後にエレベーターが停止し一晩閉じ込められる羽目になる。何とか無事に死刑台のエレベーターを抜け出すものの、不在時に車を盗まれて別の殺人事件が起こっており、ジュリアンはその容疑者として疑われる。アリバイのない彼を救うためにフロランスが探し出したカメラ・フィルムによってその無実は証明できたが、同時に二人の関係を明らかにする画像が現像液の中に徐々に浮かびあがり.....。この名ラストシーンは最高に印象的です。よくできたストーリーです。刑事役のリノ・バンチュラが渋いですし、美貌のジャンヌ・モローがとてもよい味を出しています。そして、マイルスのブルーなトランペットがカッコいいですね。
マイルス・デイビス/ 死刑台のエレベーター、CD
音楽は巨人マイルス・デイビスのCDアルバムとして容易に入手できます。パーソネルは、マイルス・デイヴィス(tp)、バルネ・ウィラン(ts)、ルネ・ユルトルジュ(p)、ピエール・ミシェロ(b)、ケニー・クラーク(ds)。57年パリで録音。マイルスにとって初の映画音楽。主題曲は暗い陰鬱なブルースですが、エレベーターに閉じ込められたモーリス・ロネや待ち合わせの場所に来ない恋人を求めて夜のパリを俳諧するジャンヌ・モローの心象を示すような印象的な雰囲気を持つ曲です。トランペットのクールな響き、重いベースの音が特徴です。テナーのバルネ・ウィランはここでマイルスに見出されフランスを代表する名モダン・サックス奏者へと成長してゆくことになりますが、スイング感のある小気味よい味のあるテナーです。
米国amazon.comでは試聴もできます。→死刑台のエレベーター
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:54
勝手にしやがれ/ジャン・リュック・ゴダール
2004年09月14日
勝手にしやがれ/ジャン・リュック・ゴダール
こんにちは。今日は仏映画です。1959年、ゴダール監督。主演、ジャン・ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ。モノクロ。
とても有名な映画です。ヌーベル・バーグという訳せば"新しい波"というムーブメントの口火を切った映画として世界的に大変よく知られた映画です。ちなみに、ボサ・ノバも訳せば"新しい波"ですね。
内容ははっきり言いましてたいしたことないです。B級やくざ映画のようなストーリーです。ただ、その斬新なカメラワーク、感覚的なセリフ、そして、全体に流れる軽くて刹那的な雰囲気、などが通常の見慣れた大作映画とは真っ向から異なるものを発散しています。あまりにライトで直感的な異なる世界。それでいて、なにやら哲学的な、アンチテーゼのような感じが伝わってくるのですね。ラスト・シーンのベルモンドの死とセバーグの表情は何を意味しているのでしょう。
まだ観ていない方がいらしたら、是非ともご覧になってみてください。映画好きの方ならきっと何かを感じることができると思います。40年以上前のパリの街並やら、一世を風靡したセバーグの髪型とか、仏ではアラン・ドロンよりずっと人気のあるベルモンドの若きやさぐれ風など、感覚派のあなたなら楽しめること間違いなしです。
ジャン・リュック・ゴダール Jean-Luc Godard
1930年パリ生まれ。ソルボンヌ大学時代、カルチェ・ラタンのシネマクラブに通いはじめ、シネマテークの常連となり、フランソワ・トリュフォーやエリック・ロメールらと知り合う。1952年から“カイエ・デュ・シネマ”誌に映画評を書くようになり、1959年に初の長編「勝手にしやがれ」を手掛ける。この作品が評判となり、“ヌーヴェル・ヴァーグ”の代表として世界的に有名になる。
主要作品
勝手にしやがれ (1959) 小さな兵隊 (1960)女は女である(1961) 女と男のいる舗道 (1962)軽蔑 (1963)気狂いピエロ (1965)男性・女性 (1966)彼女について私が知っている二、三の事柄 (1966)中国女(ちゅうごくおんな) (1967)ベトナムから遠く離れて (1968)勝手に逃げろ・人生 (1979) パッション (1982)ルメンという名の女 (1983)ゴダールのマリア (1984)ゴダールの探偵 (1985)右側に気をつけろ (1986)ゴダールのリア王 (1987)ゴダールの決別 (1993)
詳しくはアマゾンでどうぞ。→勝手にしやがれ
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(おかげ様で、結構、健闘しています。ありがとうございます。)
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:55
海の上のピアニスト/ジュゼッペ・トルナトーレ
2004年09月06日
海の上のピアニスト/ジュゼッペ・トルナトーレ
こんにちは。今日は1999年の伊・米合作作品ですね。評判がいいということで先日レンタルDVDで借りたものを今先ほど観終えたばかりなのです。今日はこの映画について書くと観る前から決めていましたので、内容に対する評価に関係なく現在書き進めています。まず感想を正直に率直に言わせていただくと、かなり残念でしたというところです。ここにFavoritesとして挙げるのは実は本意ではありません。
ご存知の通り内容は、客船に生れた天才ピアニストがその船から一歩も出ずに船と共にその生涯を終えるという話を友人であったトランペット奏者の回想という形で語られる物語です。最初はその数奇な生い立ちに興味が惹かれます。そして、挿入エピソード、当時の最大ジャズピアニスト、ジェリー・ロール(・モートン)とピアノ対決したり、折角録音したレコードを初恋の女性に渡せず壊してゴミ箱に放る、など前半1時間くらいは面白く見せてくれます。ただ、後半、なぜか船から降りないというその理由と、最後に爆弾とともに吹っ飛ぶことを選択するというところがちょっと無理があるような気がして私の中ではトーンダウンしてしまいました。陸に降りることを一度は決断してタラップの半分まで下るのですがそこで思い直して引き返すというシーンと、友人にその時の心境を語るその説明にちょっと魅力半減となるのでした。
船の中から出ないこと、そこにもっと哲学がほしかった。死を賭してまで船を離れないその志にはほんとに敬意を表したいです。が、もっと深い何かを期待していたのですよ、死を持ち出すからには。それが、陸では選択肢が多すぎる?道も、家も、女性も。ピアノは88鍵盤その有限性がよいと。それは当たり前で、そりゃ好き嫌いの世界、あまりに個人的な理由じゃないですか。それはあなたの生き方であって、そこに固執するなら、しょうがない、じゃあね、という感じですよ。まわりの環境があなたをそうさせたのであって、それを越えることに自己飛翔がありドラマが生れるのじゃないですか。船中という閉鎖空間について陸との差異をもっと普遍化できなかったのかなあ、と。
エンリオ・モリコーネの音楽もいいですし、主演のティム・ロスもピアノを本当に弾けるっぽいところがいいですよ。ただ、その脚本がちょっと惜しいですね。折角の大作なのにもうちょっと納得できる感動がほしかったなあ、というところです。以上。
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:56
飢餓海峡/内田吐夢
2004年09月03日
飢餓海峡/内田吐夢
こんにちは。今日は日本の古い映画、内田吐夢監督「飢餓海峡」です。出演は、三国連太郎、伴淳三郎、左幸子、高倉健、他。1965年、東映作品。原作は水上勉の同名小説です。学生時代に京都の一乗寺というところにある京一会館という学生にはよく知られた映画館でオールナイトの何本かの1本として見ました。三国、伴、左、3人の俳優のこと、そのミステリー風ストーリー、そして津軽海峡を渡る青函連絡船のラストシーンに、深い感銘を受けた記憶がいまだに鮮明にあります。
日本の映画ベストテンなどの企画で上位に入る常連の映画ですので、まだ見ていない映画好きの方がいらしたら是非ともレンタル屋さんにいけば大抵ありますから、一度ご覧になっておくとよいと思いますよ。昭和というまだ貧困の残る日本の時代風景、その貧困から這い上がろうとする本当は心優しい人々の業というもの、そしてそういう社会の陰の部分に何か現在に通じるものを感じ取ることができるのではないでしょうか。
映画を見てそのストーリーに興味が残ったら、きっと原作を読んでみたくなることでしょう。水上勉氏の作品には、この種の時代や環境に支配される人間の業を描きつつ世の中の矛盾や不合理を訴える類のものが多いと思いますが、この飢餓海峡はその代表的作品です。文庫本でも上下2巻ありますが、たぶん一気に読んでしまえるでしょう。映画もよいですが、原作もさらに緻密で社会背景がきっちり示されており、全体の理解が進みますので、読んでみることをお勧めします。水上作品には、他にも優れた作品が多くありますが、「五番町夕霧楼」や「越前竹人形」なども読後ズシンときて、いいと思いますよ。 飢餓海峡/水上勉
殺害されることになるかわいい女、左幸子の不憫さ、本当は心根の優しい冷たい二枚目の三国、伴の人間臭い個性が印象的です。感動のラストは映画史に残る名場面でしょう。それと余談かもしれませんが、音楽の担当は富田勲氏なのですよ。氏はNHK新日本紀行や手塚治のリボンの騎士などTVや映画の主題曲を数多く手がけていますね。ご存知ですか、富田勲っていう音楽家のこと? シンセでホルスト「惑星」を20年くらいも前に録音しているのですよ。
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:57
ベニスに死す/ルキノ・ヴィスコンティ
2004年08月31日
ベニスに死す/ルキノ・ヴィスコンティ
こんにちは。今日はヴィスコンティの「ベニスに死す」ですね。官能的な音楽と耽美的な映像と主題でお好みの映画の一つです。ストーリーは、ベニスに保養に来た老作曲家(グスタフ・アッシェンバッハ、グスタフ・マーラーを想定?)がある美少年に出会い、コレラが蔓延する街を去れずに結局死に至るという途方もないおバカの話です。同性愛者ではないかと疑われたトーマス・マンの書いた小説を同性愛者と言われたヴィスコンティが映画化しました。
マーラーの交響曲第5番第4楽章アダージョが全編に響きわたり、極端なことを言えば、この音楽さえあれば官能的かつ退廃的な映像はそれだけですべて許せるというものですね。美という絶対的なものに対する憧憬は死をも凌駕するという純粋なる耽美的世界観を、美しい音楽と詩的な映像技術で示しえたというところでしょうか。
主演のダーク・ボガード、ヴィスコンティの映画では常連の渋い2枚目、が化粧までして少年に対峙する哀れさ、死とともに頬に滲む化粧汁の悲惨さをリアルに見せてくれます。セリフのない美少年タジオとその母シルバーナ・マンガーノもいいですね。不思議な映画です。私、同性愛には全くついていけませんが、耽美主義という点では少なからず共感できます。その文脈で言えば、ここは美少女でなく美少年でないと絶対的な美を象徴することはできなかったのだろうな、と思いたいですね。美少女だとエロティシズムが雑音として入り込むことになりますからね。
それと余談ですが、ホモというのは遺伝子レベルで決められるものらしく、受精卵のときに母体である母親の胎内で決定されるものらしいですね。一卵性双生児の片方がホモの場合、もう一方もホモである確率は異常に高いということが統計的に示されているそうです。
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:58
真夜中のカーボーイ/J・シュレンジャー
2004年08月30日
真夜中のカーボーイ/J・シュレンジャー
今日ご紹介する「真夜中のカーボーイ」は69年のアカデミー賞作品、脚本、監督の3部門に輝く名作です。この時期の米映画には、「明日に向かって撃て」、「俺たちに明日はない」などアメリカン・ニューシネマと呼ばれる一連のヒットがあります。主演はジョン・ボイト、それにダスティン・ホフマンが個性的な役回りで出ています。
内容は田舎から一旗揚げようとNYにやってきたイモ兄ちゃんの挫折のストーリーが描かれており、全体に暗目の映画ではあります。ただ、青春の一挫折はよくあることですし、誰しも悲しいことやくやしいことを数多く経験しながら大人になってゆくのだよね、そんな青春一幕もの、これから素敵な未来があるさという感覚です。
特筆すべきは、ボイト若かりし頃のイモっぽさが演技上手なのではまっているのでしょうが、ほんとそのままなのが楽しい。また、ホフマンも66年の「卒業」デビュー以降、「小さな巨人」「パピヨン」「レニー・ブルース」など演技派としての名声を確立してゆきますね。
それと、この映画、音楽がとても素晴らしいのですよ。ニルソンの歌う"Everybody's Talkin'"がいいですね。このいまだによく耳にするメロディーの印象が強烈です。ニルソンは"Without You"の作者として有名なシンガーソングライターですが、この「真夜中~」の曲はニルソンの作ではないとのことです。しかもグラミー賞受賞ということですからちょっと皮肉です。また、トゥーツ・シールマンスのハーモニカが奏でるジョン・バリーの主題曲も大変素敵な曲です。哀愁のあるメロディーがストーリーによくマッチしています。トゥーツ・シールマンスのハーモニカはジャズでも大変有名ですね。ビル・エバンスとのデュエット盤は私のお好みです。
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:58
僕の村は戦場だった/A・タルコフスキー
2004年08月25日
僕の村は戦場だった/A・タルコフスキー 価格: ¥2,940
アンドレイ・タルコフスキーという映画監督をご存知だろうか。初期の映画に「僕の村は戦場だった」「惑星ソラリス」がある。その後、有名になってからは「鏡」「ストーカー」「ノスタルジア」「サクリファイス」などの大作がある。まだこれからという1987年54歳肺がんで亡くなった。この「僕の村は戦場だった」は1962年のソビエト映画。ベネチア映画祭グランプリ受賞。
映像作家という言葉があり、それに当てはまる映画監督はそれほど多くないと思うが、このタルコフスキーは紛れもなく映画という制約のある芸術形式の中で自己を表現しえた典型的な映像作家の一人である。うまく説明できないけれど、私はこの「僕の村は戦場だった」という映画にこの上なく魅かれるのだ。戦争という悲劇に否おうなく巻き込まれてゆく少年の運命、彼の無垢さと過去の幸福な追幻想、立ちはだかる苛酷な現実、をこの上なく詩的な映像が冷徹に示してみせる。明晰な映像が少年の悲劇の深みを映し出す一方で、そこに鮮烈な美の輝きを感じるのはなぜだろう。いぶし銀のように輝く巨匠の凄みというものは、未完成の若いうちにもその片鱗が隠しようもなく露わになるものだということでしょうか。
原作はV・ボゴロフの「イワン」。タルコフスキー自身この原作について次のように語っている。
「まず第一に、私たちがその死まで立ち会うことになる主人公の少年の運命である。(中略)他の作家であれば慰めを与える後日談でも続くようなところで、この作品は終わっている。その後には何もない。このような場合は、作家は主人公の戦功に報いるのが普通である。困難な、苛酷なときは去った。それは人生の辛い一段階にすぎなかった、と。しかし、ボゴロフの小説では、この一段階は死によって切離され、唯一の最終的な段階になる。そして、イワンの人生のすべての内容が、悲劇的なパトスが、そこに凝縮される。この終わり方は衝撃的である。思いもよらぬ力で私たちに戦争の不自然さを感じさせ、認識させる。」と。
A・タルコフスキーの本・映画
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投稿者 Jazz Blogger T : 11:00
男と女/クロード・ルルーシュ(監督) フランシス・レイ(音楽)
2004年08月22日
DVD 男と女 特別版 価格: ¥3,129 (税込)
CD 男と女 サントラ 価格: ¥2,345 (税込)
こんにちは。今日は映画を紹介します。映画といいましても映画音楽の方が主体なのですが。「男と女」は1966年の古い映画ですが、その年のカンヌ映画祭グランプリに輝いています。「過去」をカラーで「現実」を白黒で見せる詩的な映像が印象的です。その映像をより一層引き立てたというよりむしろ対等以上に際立ったのがその音楽、有名な「ダバダバダ」のボサノバ風のおシャレな曲、フランシス・レイを一躍有名にした曲です。ジャン・ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメのわけあり子持ちバツ一同士の恋。A・エーメの前夫役はあのピエール・バルーでしたね。
映画としてはストーリー・脚本がまあありふれたものですので専門的にはそれほど評価されるものではなかったかもしれません。当時の仏映画界はゴダールやトリフォーらのヌーベル・バーグ旋風が吹き荒れており、その思想性において単純なラブストーリーでは意味すら持ち得ないというところでしょうか。
ただその映像はルルーシュの映像作家としての特徴が出ていますのと、音楽との新たなコラボレーションという点において新規性と大衆性を存分に勝ち得たということでしょうか。個人的にはこの種の極めて感覚的かつ耽美的な映画(映像&音楽?)は容易に受け入れることができます。というより、このレイの音楽が大変好みなので、といった方が当たっているかもしれません。
サウンドトラックには9曲入っていますがいずれも素敵な曲だと思います。1曲目の主題曲は続けざまに50回くらい聴いても毎回感心できそうなくらいその奥深い美しさに共感します。1、4、9は「ダバダバダ」の主題曲で編曲違い、3と6とは同じ曲で3はボーカル、6はインストゥルメンタル、5と8も同じ曲で5はボーカル、8はインストゥルメンタル、2と7はともにバルーの歌声ですが別々の曲というものです。個人的には主題曲以外では、3&6、5&8がとても気に入っています。恋の切ない気分を思い出させてくれます。ハモンドオルガンですか?とても印象的な音色ですね。レース優勝の祝賀会でA・エーメからの電報を受け取るトランティニャンがパリへと向かおうとするはやる気持ちを象徴するかのようなオルガンの音色がとても印象に残っています。
F・レイとC・ルルーシュのコンビはこの映画の後も何本か一緒に仕事をしていまして、「パリのめぐり会い」(1967)や「白い恋人たち」(1968)が有名ですね。F・レイの音楽はこの他にも多数あり素晴らしいメロディーのものが多いですね。「ある愛の歌」や「雨の訪問者」など、主題曲も有名ですが、サントラに入っている他曲にもいい曲がありますよ。「白い恋人たち」はグルノーブル冬季オリンピックの記録映画なのですが、主題曲が大変美しく、音楽と相まってというかその音楽のおかげで映像がとても詩的に見えますね。こちらも必見の価値ありだと思います。
DVD 白い恋人たち 価格: ¥4,935 (税込)
CD 白い恋人たち サントラ価格: ¥2,345 (税込)
フランシス・レイのOfficial Site
関連エントリはこちら。
→ フランシス・レイ『男と女』オリジナル・サウンド・トラック
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投稿者 Jazz Blogger T : 11:01