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僕の村は戦場だった/A・タルコフスキー

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2004年08月25日

B00005G0YV.09.LZZZZZZZ.jpeg僕の村は戦場だった/A・タルコフスキー 価格: ¥2,940


アンドレイ・タルコフスキーという映画監督をご存知だろうか。初期の映画に「僕の村は戦場だった」「惑星ソラリス」がある。その後、有名になってからは「鏡」「ストーカー」「ノスタルジア」「サクリファイス」などの大作がある。まだこれからという1987年54歳肺がんで亡くなった。この「僕の村は戦場だった」は1962年のソビエト映画。ベネチア映画祭グランプリ受賞。

 映像作家という言葉があり、それに当てはまる映画監督はそれほど多くないと思うが、このタルコフスキーは紛れもなく映画という制約のある芸術形式の中で自己を表現しえた典型的な映像作家の一人である。うまく説明できないけれど、私はこの「僕の村は戦場だった」という映画にこの上なく魅かれるのだ。戦争という悲劇に否おうなく巻き込まれてゆく少年の運命、彼の無垢さと過去の幸福な追幻想、立ちはだかる苛酷な現実、をこの上なく詩的な映像が冷徹に示してみせる。明晰な映像が少年の悲劇の深みを映し出す一方で、そこに鮮烈な美の輝きを感じるのはなぜだろう。いぶし銀のように輝く巨匠の凄みというものは、未完成の若いうちにもその片鱗が隠しようもなく露わになるものだということでしょうか。
 原作はV・ボゴロフの「イワン」。タルコフスキー自身この原作について次のように語っている。
「まず第一に、私たちがその死まで立ち会うことになる主人公の少年の運命である。(中略)他の作家であれば慰めを与える後日談でも続くようなところで、この作品は終わっている。その後には何もない。このような場合は、作家は主人公の戦功に報いるのが普通である。困難な、苛酷なときは去った。それは人生の辛い一段階にすぎなかった、と。しかし、ボゴロフの小説では、この一段階は死によって切離され、唯一の最終的な段階になる。そして、イワンの人生のすべての内容が、悲劇的なパトスが、そこに凝縮される。この終わり方は衝撃的である。思いもよらぬ力で私たちに戦争の不自然さを感じさせ、認識させる。」と。

A・タルコフスキーの本・映画

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