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白夜/ルキノ・ヴィスコンティ
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2005年06月14日
白夜/ルキノ・ヴィスコンティ
こんにちは。先週の休みにヴィスコンティの『白夜』を観てきました。学生時代にロベール・ブレッソンの『白夜』を観た時の鮮烈な印象が残っており、このヴィスコンティ作品にもいつか出会うチャンスを待ち望んでいたのでした。主演、マリア・シェル、マルチェロ・マストロヤンニ、ジャン・マレー。音楽、ニーノ・ロータ。1957年伊作品。白黒。原作、ドストエフスキー。
今でこそヴィスコンティは映画監督として著名ですが、50年代にはミラノ・スカラ座の舞台監督としてマリア・カラスを演出するなどむしろオペラ界で大変有名な存在でした。この映画『白夜』も完全な室内セットを用いたそうした舞台演出家としての本領が発揮された作品といえるでしょう。
下宿人の男ジャン・マレーと近くの橋で一年後に出会うことを約束し、毎日夜遅くに橋のたもとで待つ健気な女性マリア・シェル。そんな浮世離れした夢みたいな話を内心否定しつつも肯きながら何とかマリア・シェルに取り入ろうとするマルチェロ・マストロヤンニ。
ラストは雪の降る情緒ある白銀の夜にやっとのことでマリア・シェルの心を掴んだと思いきや、とうとうその男が現れて女は踵を返して先ほどのマストロヤンニとの睦まじさをジャン・マレーに許しを請ってまで本意を遂げてめでたしめでたしというお話。
信じる者は救われる。マリア・シェルの純真な乙女心が臭い立つほど野暮ったいのですが妙に印象に残ります。事実は小説より奇なるとよく言いますが、こと男と女にまつわるよしなしごとにはこの種の想像しがたい話がよくあるのですよね。ニヒルな二枚目のマストロヤンニがまんまと野暮なマリア・シェルに一杯食わされて、実は自分がずっと野暮だったという悲喜劇なのですね。
ドストエフスキーと言えば地下生活者の手記に象徴されるように、極めて内省的で饒舌で自我を抑えきれない矛盾だらけの自己の存在、そしてその執着して愛しくて堪らない自己を自ら自虐的に否定することにより引き起こされる悲喜劇。マストロヤンニの心の葛藤がいかにもドストエフスキー的と思えるのですね。
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投稿者 Jazz Blogger T : 10:39 | トラックバック
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